レゾナンスワークスができるまで Vol.4

第4期 バイオレゾナンス・メソッドとの出会い(2003年4月〜2005年)

わたしにとってさらに不思議な体験、大きな変化が起きた時期になります。

「ドレミファソラシド」より「周波数」!

手段が見つからないまま時間が経過するうちに、わたしの考えも「ドレミファソラシド」という音階から変化していきました。

それは音叉に「A=440ヘルツ」と書かれていたことを思い出したことからです。

「440ヘルツがあるってことは441ヘルツや442ヘルツもあるってことだよね?」

「ということは、世の中にはもっと多くの音があるってことだよね?」

「あぁ、身体を調整するのはドレミファソラシドだけじゃない、周波数だ!」

そうは言っても、「ドレミファソラシド」でさえ難しいのに、周波数での調整など夢のまた夢。

悶々度合いはさらに高まりました!

(ヘルツとは1秒間に何回振動するのかをあらわす単位ですので、1回なら1ヘルツ、10回なら10ヘルツ)

一本のメール

2003年の4月の半ば、知り合いの女性から一本のメールがきました。

メールの内容は、当時彼女が働いていた氣功の先生のところに施術を受けに来られている占い師の方の話でした。

(この先生が整体学校時代に氣功の授業を受け持っていた方です。)

その方が、ある場所で一日だけ特別料金で占ってくれるというもの。

というのも、その方がまだ駆け出しの頃、そこのオーナーが「ここを使いなさい」とスペースを提供してくれたことがあったそうです。

おかげで色々な経験が出来たとのことで、その時の恩返しのため、そこに来られたお客さんを特別料金で占うということ。

「面白そうだから、一回占ってもらえば?」

メールをくれた女性も、氣功の先生もよく知っている、というか学校卒業後に一緒に働いている時期もあった間柄。

その彼女に誘ってもらったとはいえ、当初は占いに興味がなかったので、乗り気ではありませんでした。

ただその日が近づいてくると、段々と「ちょっと行ってみようかな!」という気持ちに。

特に前もって予約をする必要はなく、決められた日の午後にそのお店に行けば良いだけでしたので、「当日になったら決めよう。」とその日の気分にまかせることにしました。

占いの当日

当日になると、「ちょっと行ってみるか!」という気持ちになりましたので、お昼過ぎに自宅を出て教えてもらった場所に向かいました。

場所は渋谷と六本木の間にある喫茶店。

占いには懐疑的な部分もあったので、出来るだけこちらの情報は知らせまいと、その日はなにか抵抗していたように思います。

紹介してくれた女性や氣功の先生と知り合いであることや自分の職業などは伝えず、名前と生年月日を伝えた程度で占ってもらったと思います。
もっとも特に細かいことを聞かれることもありませんでした。

その占い師の方が言われたのは「あなたが向かっている方向は間違っていません。おそらく2週間くらいではっきりするでしょう。」と。

「2週間?2週間っていったらゴールデンウィークのころだよね?それまでにいったい何がわかるんだろう??」

と内心不思議に思っていました。

占いが終わってから、実はこれこれこういう方の紹介でここに来ましたと種明かし。

「あぁ、そうなのね!でもあの先生のマネをしようとしちゃだめよ。身体を壊すから。あの人は特別!」

など、この時はもう気持ちの抵抗もなく自然な会話になっていました。

お約束の特別料金(普段の1/10の料金だったようです。)とお礼を伝えて帰路に。

そしておよそ2週間後のこと

占いで言われた2週間ほどが経ったゴールデンウィークのこと。

彼女と2人で新宿のタカシマヤタイムズスクエア内にある紀伊國屋書店に行ったときに出会ったのがこの3冊の本。

  • 「ドイツ振動医学が生んだ新しい波動健康法」
  • 「クリスタルボウル・ヒーリング(上・下)」

「なに?振動医学?」
「え!クリスタルボウル!」

振動医学はまだまだ聞き慣れない言葉、クリスタルボウルに関する本も長い間探していたものの、当時はなかなかありませんでした。

両方とも2003年4月に発売されたばかり。

平積み状態で陳列されていました。

振動医学の本をぱらぱらめくりながら、

「これって思っていたことが実現できんじゃないの!」

「周波数って書いてあるし!」

色々な思いが瞬間的に浮かんできたり、巡ったり!

興奮状態でこの3冊をレジに持っていったのを思い出します。

「本当に2週間後になんとかなった!」

「なんだかすごい!」

あとにも先にも、占ってもらったことはこの1回だけですので、尚更印象深いのかも知れませんが、わたしの中でこの一連の体験は奇跡に近いものでした。

著者の方に会いに行く

振動医学の本を読み終えてから数日後、著者の方に連絡をとって、彼女と一緒に会いに行きました。

「音を使って身体の調整はできるはず!」という思いに至ってからおよそ3年。

実現できる手段が見つからない状況が続いていましたので、著者の方に矢継ぎ早に質問をしてしまったのではないかと思います。

「これこれこのように思っているんですけれど、どうですか?」

「できると思いますよ。」

「このようにも思っているんですけれど、どうでしょうか?」

「できると思いますよ。」

質問させていただくことおよそ1時間。

わたしとしてはおよそ3年間も悶々としていたことが今解決しようとしているという、このときもまた興奮状態でした。

バイオレゾナンスと呼ばれるこの方法に「ようやく出会えたか!」と、なんとも言えない気持ちでした。

右腕が上がってる!

自分が考えていたことがバイオレゾナンスで実現できそうだというのはわかりましたが、その凄さを目の当たりにしたのは翌日に彼女の様子を見たときのことです。

じつは数ヶ月前のある晩、彼女は自動車にはねられる事故にあっていて、診断は右肩に重度の打撲と左足のすねの剥離骨折でした。

それなりの時間経過はしていたのですが、なかなか完治していなくて、右腕を三角巾で吊っている状態が長く続いていたのです。

このような状況の彼女でしたが、著者の方に話を伺った翌日、待ち合わせ場所で会った瞬間、「ねぇねぇ、ほら!」と言って右腕を上げたのです。

完治という状況ではもちろんありませんでしたが、明らかに前日までとは様子が異なるほど肩の可動域が広がっていました。

左足にあった痛みも殆どないとのこと。

ここからは後日談になります。
著者の方に会いに行くとき、最寄りの駅から家までのおよそ20分ほどある距離を一緒に歩いて行ったのですが、その際、

「ひとが足が痛いって言っているのに、何でこのひとは歩かせるんだろう!」

と内心思っていたそうです。

それほど痛いということをわたしは知らずに連れて行ったのですが、そのおかげというか、なんというか、バイオレゾナンスによる身体の変化を知ることができました。

というのも、わたしが質問をしているおよそ1時間の間、バイオレゾナンスの機械を使って彼女に必要な筋肉や骨格に関するプログラムを受けさせて頂いていたからです。

帰り道、同じ20分間を歩きながら

「あれ?全然痛くないんだけど??」

ともうすでに思っていたそうです。

変化があったからこの方法に取り組もうということではなく、

「音を使って身体の調整ができるはずだ!」

という整体院での体験が先にありましたので、なんの迷いも疑いもなくすんなりと受け入れることが出来ました。

「腑に落ちる」とはまさにこのような感じなのだと思います。

【第3期 整体院時代(1999年〜2003年初めのころ)】はこちらから

【第5期 独立(2005年6月〜2014年)】につづきます